更新日 2009.11.30
 
統合失調症急性期看護マニュアル 改訂版
統合失調症急性期看護マニュアル
改訂版
阿保順子 佐久間えりか [編]
 B5判 176頁 2色刷
 定価2,520円(本体2,400円+税5%)
 ISBN978-4-902630-13-8
  
考えるがん看護 考えるがん看護
 
水嵜知子 [著]
 四六判 206頁
 定価2,100円(本体2,000円+税5%)
 ISBN978-4-902630-12-1
  
暴力と攻撃への対処 精神科看護の経験と実践知 暴力と攻撃への対処
精神科看護の経験と実践知
岡田実 [著]
 A5判 200頁
 定価2,730円(本体2,600円+税5%)
 ISBN978-4-902630-11-4
     
看護をとおしてみえる片麻痺を伴う脳血管障害患者の身体経験 看護をとおしてみえる片麻痺を伴う脳血管障害患者の身体経験
山内典子 [著] 跋(巻末付章) 田中美恵子
 A5判 208頁
 定価3,150円本体3,000円+税5%)
 ISBN978-4-902630-10-7
  

ニュース
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送料改定…12月より、直接注文(直売)品の送料を、一律200円に改めます。実質的に値下げとなります。なお、2冊以上同時注文は送料無料です(従来どおり)。
............2009.11.30
広告掲載・・・日本精神衛生学会 第25回大会(鉅鹿健吉会長)・・・11月14〜15日、国立看護大学校(東京都清瀬市)
............2009.9.30
紹介記事・・・“看護実践の科学”9月号、ぶっくす欄で『考えるがん看護』が取り上げられました。紹介文は「一緒に考えさせてくれる珠玉の1冊です。」と結ばれています。
............2009.8.31

書評……“看護”7月号に『考えるがん看護』の書評が掲載されました。評者は江藤裕之氏(東北大学大学院国際文化研究科准教授)。看護研究の参考書はたくさん出ているが、ほとんどはハウツーを伝えようとするもの。示されているのは作業であって著者の思索ではない。そうした現状を枕に、それと対比させることで本書の成り立ちの特徴が際立つような紹介をしてくださっています。そして、「自らの問いを問いとして問い続けた深い思索の書である」と結ばれています。

............2009.6.30

広告……学会集録(抄録集)への掲載予定です。学会場での出展販売も予定しています。
第35回日本看護研究学会(川嶋みどり会長)…8月3〜4日、パシフィコ横浜
日本精神科看護学会第16回専門学会T(日本精神科看護技術協会主催)…8月5〜6日、名古屋国際会議場
第5回日本移植・再生医療看護学会学術集会(添田英津子会長)…10月3日、慶應義塾大学 北里講堂

............2009.5.22

書評……“精神医療”no.54(発行:批評社)に『暴力と攻撃への対処』の書評が掲載されました。評者は安保寛明氏(東北福祉大学健康科学部保健看護学科)。本書の特徴を丹念に取り上げ、それに対する評者の読みを開陳した4頁にわたる本格的な論文です。批評と感想が端的に凝縮されている最終段落の文章を引用・紹介します。「この書籍で記されている内容は特定の施設で培われた文化に基づくものであり、考察も一人に委ねられているので、内容には粗削りな記述がところどころに見受けられる。一方で、強力な感情体験である暴力や攻撃について、ただ単にその場を制圧することだけでなく患者との対立を調和へと導くための配慮をしようと情熱を傾けている一人の看護師の姿が、この書籍から色濃く伝わってきた。この書籍を読むことで、患者との間に生じた一瞬の対立関係を調和に導くための理念や熱意が刺激される読者が多くあることを願いつつ、書評としたい。」

『考えるがん看護』の紹介記事
……“介護新聞”4月2日号「『看護とは何か』探求の経緯つづる」との見出しで。
……“看護教育”5月号(Vol.50,No.5)の新刊案内。
……“月刊ナーシング”5月号(Vol.29,No.6)のBook Review & PRESENT欄

.............2009.4.30

新刊……『統合失調症急性期看護マニュアル 改訂版』 を発行しました。初版は2004年5月、小社の創業出版でした。この間の法律的環境の変化に対応すべく解説を書き換えました。マニュアル部分は初版を踏襲しています。価格も同じです。

.............2009.3.31

書評……“精神療法”第35巻第1号(金剛出版)に『暴力と攻撃への対処』の書評が掲載されました。評者は田崎博一氏(弘前愛成会病院長)。「精神科病院急性期病棟の準夜勤帯に放り込まれる」ような臨場感あふれる序章の紹介からはじめられ、本書を経験に含まれる「技を言語化し、実践知を共有する営み」として位置づけたうえで、「著者の臨床家としての経験、研究者としての努力、教育者としての情熱がこの困難な作業を実現させたものと思う」と評価されています。そして、看護職員ばかりでなく精神科医の評者にとっても「刺激的で有益な一冊であった」と結ばれています。

紹介記事……『考えるがん看護』が“エキスパートナース”3月号の今月のBOOKナビ欄で紹介されました。

.............2009.2.28

広告掲載予定……学会誌(抄録集)へ広告を掲載します。学会場での出展販売も予定しています。
 第34回日本精神科看護学会大分大会(主催:社団法人日本精神科看護技術協会)
         …5月19−21日、別府国際コンベンションセンター
 日本看護倫理学会第2回年次大会(小西恵美子会長)…6月6日、長野県佐久勤労者福祉センター
 日本精神保健看護学会第19回総会(野末聖香会長)…6月20−21日慶應義塾大学日吉キャンパス 

紹介記事……『考えるがん看護』が“ベストナース”2月号のブックレビュー欄で紹介されました。

.............2009.1.31
ニュース続き
編集雑記

2009年11月某日
 本づくりの大本は言うまでもなく原稿である。ところが近頃、データという言葉がやたら飛び交っていて、原稿の存在がかすみがちだ。「データさえいただければ…」というのが印刷会社の営業の決まり文句だ。見積もりの安さを競うと、そうなる。見本を持参して品質の高さをアピールするセールストークを聞かない。競争力にならないからだろう。高度に自動化された機械の能力を信じれば、印刷の質の差を売りにすることはむずかしい。聞けば「自信があります」と皆が同じように答える。果たして、本当にそうか? 素人目にもすぐわかるような酷さはあり得ないとしても、私の限られた経験の中でも、実際には、インキの濃さが足りなかったり、刷りムラが目についたりはよくあって、刷り直してもらったこともある。その結果は明らかに良くなる。ということは、機械の性能の問題ではない。実物をチェックする現場の目が機能していなかったのだ。機械の性能を十分に発揮させ、最高の仕上がりを保証するのは、それを求めるプロの熱情と、厳しい目の力だ。データがすべてを決するわけではない。理論的に可能なことと、実際にできていることとは同じではないのである。人間の目を軽視していれば、やがて感度の劣化を来すことだろう。念のために言うが、印刷所批判ではない。出版界の業種すべての連環、もっと言えば社会全体が関係し影響し合っている問題だ。もちろん私自身無関係ではあり得ない。
 話を原稿に戻す。「データ入稿」という言葉が気になる。で、ちょっと理屈をこねる。入稿とは原稿を印刷所(印刷に至る製作工程を一括してそう呼んでおく)に入れることだが、データは「原稿」なのだろうか? データそれ自体は数字の羅列で意味不明、記録媒体の中身はそもそも見えやしない。それがどうして、大本たるべき「原稿」になれるのか。データ化されたらデータになる。だったら「データ渡し」と呼ぶほうが間違いないのではないか。私が実行しているのは「入稿(データ付き)」である。
 「データは原稿ではない」ということをはっきりさせたかったのは、編集者は何よりも原稿に向き合うという原則を再確認したいからだ。著者と印刷所との仲立ちたるべき編集者は、入稿原稿を確定するという役割を担う。そのためには原稿を読まなければならないし、原稿整理という仕事を引き受ける。それさえデータ処理のテクニックで片づけようとする話も聞くが、私には、まったく次元の違う話としか思えない。
 活字時代によく言われた「完全原稿」が今や死語に近い。データの追加や変更が楽にできるからだ。それで助かっている事実は認めよう。しかし、それとともに編集者が「完全原稿」への責任意識を失うなら退歩でしかない、と思う。自らを思い返して、完全原稿を入稿できたためしはないので、大きな顔はできない。そうすべきだという理想を自明の原則として共有していただけなのだが、その原則の共有ということが、プロとして成長する上でとても重要だったと思う。
 「データさえいただければ…」と言っていた人も、私が古い原則主義の編集者だと知ると、「最近は原稿(プリント)がなくて、メールの添付ファイルでデータを送ってくるだけという入稿も珍しくない。そういう場合、心配だから、こちらでプリントアウトしたものを“原稿”の控えとして先方に送り返す。何でこちらがと思うけれど…」と、嘆かわしい口調に変わる。社交辞令で話を合わせただけ? ではあるまい。本音が出たのだと思いたい。「データさえいただければ…」と言うのは、何でもありの風潮に合わせざるを得ない商売用。編集者としてそれに影響されたくない。おかしな編集者が珍しくないといっても、それが多勢というわけでもなさそうだから、先走った心配はやめる。デジタル技術が席巻する環境下にあっても守るべき原則は変わらないことを明言した以上、肝心なのは自らが断固実行し続けることだろう。
 追記……いったん筆をおいたのだが、さらに考えてしまう。以上の原則論は、あくまでリアル書籍というモノづくりにおいての話だった。電子ブックやオンラインジャーナルが一般化すれば、原則も逆転するかもしれない。現に、写真やイラストは「データ入稿」が進んでいる。イラストの味に満足できず「手描きで」と求めたら、手描きソフトで線を描き直したデータが送られてきた。筆を使おうとしないことに唖然とし、「時代が変わった」ことを知った。ところが、こんなこともある。あるデザイナーはCGで図を作ったのにプリントだけしか渡してくれない。その場合はデータこそがオリジナル(原稿)だと思うが、それを出さない。印刷所ではプリントのスキャンデータをとるしかなかった。彼にとってCGは単なる道具で、あくまでプリントが原稿だというのか? とすれば、彼は私と同類の旧人類の原則主義者なのか? 理解に苦しむ。


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